2011年 05月 13日
なぜ絵を描くのか
久々の更新です。
ちょっと固い感じのタイトルをつけてしまいましたが、
いつもいつも考えて(考えすぎ?なほど)考えていることです。
なぜ私は永沢まことさんの描き方に夢中になったのか。(もう10年近く前の話ですが)
この本を読んで以来、ペンで描くことにこだわり続けてきました。
それはもう魔法にかかったかのように。
今はその魔法が少しずつ解け始めているような気がしています。
この本、いえ、永沢流の描き方の魔法、それは
①ペンさえあれば誰でも気軽にすぐに始められること。
しかも、ペンでさっと描くだけなら自分でもすぐに出来そうだと思えること。(気軽に入門できる)
②日常の中の好きなものを描けば良い。
例えばレストランで出された美味しい料理。楽しい旅行先で見た風景とか。
普通だったら食べたり、見たりして終わってしまうけれど、絵を描けば思い出にもなるし、2倍楽しめる。
特に旅先でさっと絵を描くなんて、ちょっとカッコいい。
③もともと絵を描いたことのない自分と同じような絵仲間が得られる。しかも若手も多い。
今では全国に教室があります。インターネット上だけでもブログなどで簡単に仲間が得られます。
認定された教室に入れば、永沢先生に会える事も。→(そして先生の人柄に魅了される)
私の場合は教室には通っていませんが、永沢先生の生徒さんを介して何度かお会いしました。
自称、私も生徒です。(※本を読んだだけ。教室には通ってませんが)
④”描きまくろう”というこの言葉。絵仲間との競争意識が少なからず芽生え、
自然に絵を描くことに没頭していく。時間さえあれば電車の中でさえペンを走らせる徹底振り。
⑤描いたものは必ず誰かに見せなければならないという教え。最終目標は個展。
もともと自信がなくても、没頭して描きまくっているうちに自信も湧いてくる。
仲間が次々と個展を開催していくので、自然に躊躇なく個展が開催できてしまう。(←ここが一番スゴイところ!)
そんなところ、でしょうか?
ポイントは・・・絵仲間、競争意識、描きまくることに没頭→個展で達成感!
この図式がまさに、脳内物質ドーパミンをたっぷり出すことになっていきます。
だから止められない。(最近覚えた)
でも、人間、楽しいこともいつかは飽きてしまうものです。
飽きてしまった人は絵を描くことを続けられなくなり、あっさりと去っていきます。
私もこのドーパミン!によって絵を描くことを止められなくなった人のひとりなのですが、
10年が経ち、今の課題はどうやってこの脳の活動の原動力であるドーパミンを出し続けるかということ。
ドーパミンを上手く出し続けることができれば、人生に絶望することはまず無いと思う。
でも結局は絵を描くことでなくても、他でドーパミンが出るのならそれでいいんだと思う。
実際、スペインに住んでいた初めの頃は絵は描いてなくて、私は陶芸に没頭していた。
スペインやイタリアに住んでいた頃、絵を描くことに没頭できることが嬉しかった。
でも外国暮らしでいつも感じていた寂しさを紛らわすためには暇な時間を作らないことが重要だった。
カレンダーの予定は稽古事やランチなどの約束で大抵いつも一杯で、暇な日は絵を描く時間としていた。
それでも絵を描くことが出来なくなるほど忙しくなると、絵を描かねばならないというような強迫観念にも似た
焦りが湧いてきてある時どうしても描かねばと思い立ち、描き貯めていたスケッチに一気に色を塗る。
そんなことの繰り返しで、いつでも身近に外国の風景を描ける生活をしていながらも、
スケッチだけに時間を割くということもなかなか出来なかったように思う。
もともと不器用な私は全てにおいてどれも上手くやるということがあまり上手ではない。
しかも、本当は飽きっぽいし、面倒くさがりだし。。。集中力に欠けるし。(汗)
でも私は心の隙間が出来たときに何かに没頭することでその隙間を埋めている。
生きていくのにとても大切なこと。
(いつも何かに没頭できるというのも恵まれた能力じゃないかなと最近気がついた。)
思い起こせば、幼少の頃からいつも何かに夢中になってた。
したいことが見つからないなんて期間は皆無だったと思う。
絵を描くことは子供の頃から好きなことの一つだった。
どんな絵を描きたいかなんて、私にとっては本当は大したことじゃないのかも?(そうなのか?)
描き続けること、没頭することに意味がある。
でも、続けるため、目指すものは必要。
だから開催日までの締め切り?に追われ苦しみつつも個展を続けてます。
永沢流の魔法が解けたあとはどうなるんだろうって思ってたけど、
私の場合、飽きて絵を止めることにはならない気がする。
魔法が解けても永沢さんの絵は好きだから、ペンスケッチも描き続けるだろうな。
でも、描きたいように自由に描いていきたい。
当面の目標は透明水彩画をマスターすること。パステルもやりたいし、透明水彩色鉛筆にも興味が出てきた。
さぼってちゃダメだよね^^;
結局、何故描くのかというと、”描くことが好きだから”ということになるんでしょう。たぶん。
もっともっと好きになれたらいいのにと思うことはよくありますが、
私のサボリ癖は何故そうなんでしょう。うーむ。好きならもっと描けばいいのに~、描けないんだなぁ。これが。
今年の9月、寸座フランセにて個展の予定です。
そろそろ重い腰を上げてがんばります!
※読み返してみたら内容が分かりにくかったのでいろいろ修正してみました。6/3
ちょっと固い感じのタイトルをつけてしまいましたが、
いつもいつも考えて(考えすぎ?なほど)考えていることです。
なぜ私は永沢まことさんの描き方に夢中になったのか。(もう10年近く前の話ですが)
この本を読んで以来、ペンで描くことにこだわり続けてきました。
それはもう魔法にかかったかのように。
今はその魔法が少しずつ解け始めているような気がしています。
この本、いえ、永沢流の描き方の魔法、それは
①ペンさえあれば誰でも気軽にすぐに始められること。
しかも、ペンでさっと描くだけなら自分でもすぐに出来そうだと思えること。(気軽に入門できる)
②日常の中の好きなものを描けば良い。
例えばレストランで出された美味しい料理。楽しい旅行先で見た風景とか。
普通だったら食べたり、見たりして終わってしまうけれど、絵を描けば思い出にもなるし、2倍楽しめる。
特に旅先でさっと絵を描くなんて、ちょっとカッコいい。
③もともと絵を描いたことのない自分と同じような絵仲間が得られる。しかも若手も多い。
今では全国に教室があります。インターネット上だけでもブログなどで簡単に仲間が得られます。
認定された教室に入れば、永沢先生に会える事も。→(そして先生の人柄に魅了される)
私の場合は教室には通っていませんが、永沢先生の生徒さんを介して何度かお会いしました。
自称、私も生徒です。(※本を読んだだけ。教室には通ってませんが)
④”描きまくろう”というこの言葉。絵仲間との競争意識が少なからず芽生え、
自然に絵を描くことに没頭していく。時間さえあれば電車の中でさえペンを走らせる徹底振り。
⑤描いたものは必ず誰かに見せなければならないという教え。最終目標は個展。
もともと自信がなくても、没頭して描きまくっているうちに自信も湧いてくる。
仲間が次々と個展を開催していくので、自然に躊躇なく個展が開催できてしまう。(←ここが一番スゴイところ!)
そんなところ、でしょうか?
ポイントは・・・絵仲間、競争意識、描きまくることに没頭→個展で達成感!
この図式がまさに、脳内物質ドーパミンをたっぷり出すことになっていきます。
だから止められない。(最近覚えた)
でも、人間、楽しいこともいつかは飽きてしまうものです。
飽きてしまった人は絵を描くことを続けられなくなり、あっさりと去っていきます。
私もこのドーパミン!によって絵を描くことを止められなくなった人のひとりなのですが、
10年が経ち、今の課題はどうやってこの脳の活動の原動力であるドーパミンを出し続けるかということ。
ドーパミンを上手く出し続けることができれば、人生に絶望することはまず無いと思う。
でも結局は絵を描くことでなくても、他でドーパミンが出るのならそれでいいんだと思う。
実際、スペインに住んでいた初めの頃は絵は描いてなくて、私は陶芸に没頭していた。
スペインやイタリアに住んでいた頃、絵を描くことに没頭できることが嬉しかった。
でも外国暮らしでいつも感じていた寂しさを紛らわすためには暇な時間を作らないことが重要だった。
カレンダーの予定は稽古事やランチなどの約束で大抵いつも一杯で、暇な日は絵を描く時間としていた。
それでも絵を描くことが出来なくなるほど忙しくなると、絵を描かねばならないというような強迫観念にも似た
焦りが湧いてきてある時どうしても描かねばと思い立ち、描き貯めていたスケッチに一気に色を塗る。
そんなことの繰り返しで、いつでも身近に外国の風景を描ける生活をしていながらも、
スケッチだけに時間を割くということもなかなか出来なかったように思う。
もともと不器用な私は全てにおいてどれも上手くやるということがあまり上手ではない。
しかも、本当は飽きっぽいし、面倒くさがりだし。。。集中力に欠けるし。(汗)
でも私は心の隙間が出来たときに何かに没頭することでその隙間を埋めている。
生きていくのにとても大切なこと。
(いつも何かに没頭できるというのも恵まれた能力じゃないかなと最近気がついた。)
思い起こせば、幼少の頃からいつも何かに夢中になってた。
したいことが見つからないなんて期間は皆無だったと思う。
絵を描くことは子供の頃から好きなことの一つだった。
どんな絵を描きたいかなんて、私にとっては本当は大したことじゃないのかも?(そうなのか?)
描き続けること、没頭することに意味がある。
でも、続けるため、目指すものは必要。
だから開催日までの締め切り?に追われ苦しみつつも個展を続けてます。
永沢流の魔法が解けたあとはどうなるんだろうって思ってたけど、
私の場合、飽きて絵を止めることにはならない気がする。
魔法が解けても永沢さんの絵は好きだから、ペンスケッチも描き続けるだろうな。
でも、描きたいように自由に描いていきたい。
当面の目標は透明水彩画をマスターすること。パステルもやりたいし、透明水彩色鉛筆にも興味が出てきた。
さぼってちゃダメだよね^^;
結局、何故描くのかというと、”描くことが好きだから”ということになるんでしょう。たぶん。
もっともっと好きになれたらいいのにと思うことはよくありますが、
私のサボリ癖は何故そうなんでしょう。うーむ。好きならもっと描けばいいのに~、描けないんだなぁ。これが。
今年の9月、寸座フランセにて個展の予定です。
そろそろ重い腰を上げてがんばります!
※読み返してみたら内容が分かりにくかったのでいろいろ修正してみました。6/3
by mikatian
| 2011-05-13 21:53
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